2012年1月28日土曜日

移動教室 IN いわき

ボランテイア参加のご報告

 前半は5、6年生、後半は主に特支学級(のびすく)のお世話をさせて頂きました。

期日:平成24年1月24日~27日  3泊4日

学校名:福島県 伊達市立 柱沢小学校  

学年:5、6年(24日~)、1、2年、特支学級(のびすく)(26日~) 総勢:73名  

指導者:校長、教頭、担任計12名(ボランテイア2名含む)、特支学級の引率母親1名

主催:福島県「移動教室体験活動応援補助事業」

日程:

24日 柱沢小学校7:00発、ムシテックワールド、科学体験学習、ガスバーナによる

ガラス管ビーズ込め工作、福島空港、あぶくま洞、ホテルハワイアンズ着

25日 アクアマリン福島、バックヤードツアー、ランプ工作、魚釣り、三枚おろし、

釣り上げた魚の、フライ昼食、施設の津浪被災状況、魚の避難移動、

復興の話しを聞く、いわきマリンタワー、珍しい大雪で、屋上展望台からの視界は

海が見えない、階段で下りて体力作り、うおのぞき館、伝馬船の体験漕ぎ、

魚手掴み、漁港の被災、復興の話しを聞く、塩屋崎海岸線の津浪状況見学、

ポリネシアンショー、舞台に上がり、共にダンス、プール遊び

26日 石炭化石館で後発の小1,2、特支学級と合流、磐城炭田の歴史、恐竜化石、

古生物、8500万年前の琥珀を研きペンダント工作、ハワイアンズ発足の歴史、

ポリネシアンショー、特支学級も舞台に上がり、共にダンス、プール遊び

5、6年生はホテルハワイアンズ支配人から震災、復興状況の話しを聞く

27日 ホテルハワイアンズ発、5,6年生とは別行動で、アクアマリン福島、

ら・ら・ミュウ、魚市場見学、室内遊び、柱沢小学校16:30着

所感

 今回は伊達市社会福祉協議会からお誘いがあり、昨年夏の裏磐梯への小学生引率日帰りボランテイアに続き、3泊4日の宿泊ボランテイア引率に参加させて頂きました。

校長先生、教頭先生、他担任の先生には大変お世話になり、又、大変楽しい時間を過ごさせて頂き、子供達は大喜びで、皆、無事に学校へ戻って来られました。

 又、校長先生、教頭先生と宿泊同部屋で、貴重な教育の話し、放射能汚染状況、それへの対応教育等のお話を伺い、とても勉強となりました。今回の移動教室では高学年、低学年、特支学級の生徒が共に共同生活を行い、見学施設訪問時の挨拶、食事の時の低学年へのお手伝い等、子供達にとって、とても素晴らしい貴重な体験ができたのではないかと感じました。

 私は富士通の中国での会社設立で、10余年、南京市に駐在し、数年前に帰任、帰国しましたが、

駐在時は会社業務の他に地域貢献、家族帯同での日本人駐在者のお子様に、南京日本商工会で、

日本語補習授業校を皆様のご協力で設立させて頂き、毎週土曜日は学校で、子供達と楽しく過ごしました。今回は当時を思い出され、改めて、児童教育の大切さを再認識致しました。

 伊達市は今後とも放射能と戦って行かねばなりませんが、子供達は家族、先生達、回りの大人達の心温まる“絆”を強く感じとっており、きっと、前向きに将来を見据えて生きて行けるのではないかと感じました。今回のお世話は、私にとりましても大きな感銘を受けました。皆様に感謝申し上げます。ありがとうございました。

                 



























































        

2011年4月2日土曜日

東日本大震災の震災復興民間ボランテイア支援方法の考察

第二版:平成23年4月7日

 今回の被災で、伊達市役所へ毛布、衣類等の届け出、保原ゆうゆう体育館の避難者支援、福島県の救援物資の富士通アイソテックへの搬入運搬作業のボランテイア支援活動をさせて頂いた。これらを通してボランテイア支援方法を考察する。

 尚、扱う問題、課題が複雑なので、大所高所、きめ細かな視点から検討が必要なので、本考察は何度も修正が必要で有ると考える。

今回地震の特徴

3 11 日午後 2 46 分ごろ、マグニチュード 9.0 の世界初の記録の地震が東北地方太平洋沖で発生。青森県、岩手県、宮城県、福島県、茨城県、千葉県の海岸線沿いが、地震発生から約30分以内の短時間で高さ16メートルを超え、内陸へ5Kメートルを越える浸水の大津波に襲われた。岩手県三陸地域は過去に津波被害が多く発生しており、世界一の高さを誇る堤防建設、住民の常日頃からの避難訓練等が実施されていた。3月28日現在で届け出の有る死者、行方不明者が合せて28000人、避難者は28万人の過去に例を見ない広域災害で有る。被害は更に拡大の傾向で有る。

 今回の震災では震災被害として初めての、東京電力福島第一原発爆発事故福島県双葉郡大熊町大字夫沢字北原)の深刻な状況が継続してる。地震、津波大国の日本の原発建設には絶対に事故が発生しない、充分に考慮された建設建屋で有ったが、想定を超える復旧の目途が立たず、目に見えない敵で有る放射能漏れの被害が拡大し、東京、千葉迄の広域汚染で、水道水、空気、土壌から規定値を超える放射能濃度が検出されている。風評などから来る過敏な被害が出てる。原発傍の海水からも非常に大きな異常値が検出されている。原発事故対策(止める、冷やす、閉じ込める)が困難で、対策は長期化予測されてる。がここでは本文の趣旨と異なるので、詳細な被災状況は他の報道記事を参照して頂き、以下、本題に戻る。

復興へのステップ

世界的、日本国家的なレベルから復旧、復興方法を当然ながら、検討すべきだが、ここでは今回実践活動をさせて頂いた、伊達市保原町地域に的を当て復興の方法を考えてみる。

大災害対策には状況が刻々と変化する状況に対して、

対処方法

①適切でリアルタイムに、

②タイムリーに、

③迅速で、

④きめ細かく、

⑤大胆な対応が必要とされる。


この為には、現状把握

①正確な現状分析、

②ニーズの把握が必須で、それに、

③どのように答えるかで有る。


対応資源

①当座の限られた資源(人、物、金)、

②今後の資源の増加(各地からの支援隊、援助物資、義援金)をどのように


対応優先順位 時間の経過と共に変化する、プライオリテイ付けを行う

第一優先とされるのは人命救助、弱者(老人、病人、子供等)への

  環境(避難所、衣類、医者等)整備で有る。

次に一般市民へのライフライン(電気、水、ガス)の確保。

次に衣、食、住の確保。流通(道路、車、燃料等)の確保。

次に情報インフラ(電話、ネット、テレビ、ラジオ等)の確保。

次に、次々と各種インフラ(学校、病院、等)の確保、他の確保である。


震災状況、現状認識

   詳細、写真等はブログ参照 http://yamatokato.blogspot.com/

伊達市保原町は地震当初、ライフライン(電気、ガス、水道)が場所により異なるが、断たれた。一週間程でほぼ回復した。伊達市の活躍が大きく寄与した。特に断水回復は一番遅れた。行政の指定した公民館、他の場所は水補給待ちの行列が出来、2時間待つ者もあった。民間の水道の提供、井戸水の提供が有った。霊山虹彩館等は山の湧水の風呂施設利用できた。

保原町の家屋の倒壊は無く、ブロック塀が倒れ、屋根瓦の破損が多く有ったが、住居、衣類は確保できた。食料は各大型スーパーのダメージが大きく、陳列棚からの商品が落下し、建屋の損傷が大で、危険、商品運搬物流がガソリン不足で供給されなく、再開店が遅れた。あるスーパーは駐車場に商品を陳列して青空販売した。再開店情報は購買客待ちの行列ができた。開店と同時に品物は直ぐに完売した。しかし、震災当日から小売店は営業に非常な努力を行い、食材、他の供給に大きく寄与した。改めて古からの商店街の底力を見た。スーパーの食材供給も2週間後の今は、ほぼ回復しつつある。

場所による道路の亀裂、橋の損傷による通行止め、水道管の液状減少での隆起、各家庭のプロパンガス管の転倒、電話が繋がりずらい、特に携帯電は繋がらない、これも2週間後の今は、ほぼ回復しつつある。インターネット、携帯メールは異常なし。

ガソリン、灯油の供給不足。これは、現在も続いているが、大型タンクローリが順次県内に入っており、4月に入れば、ほぼ回復すると予測される。4月7日現在の保原町はほぼ潤沢供給と成った。

現在、今後続くであろう最大問題は原発事故の終息の先が見えないことで有る。既に原発から30K県内は避難指示、屋内退去の指示が出てるが、3月31日のテレビニュースで、IAEA=国際原子力機関は、隣町の飯館村(原発から40K)の放射能濃度が基準値の2倍を超えてると発表。政府は状況を見て、避難指示を出すか検討するとの政府見解。

原発対応で有名なフランス、他各国家から原子力専門家、必要設備、他を持参して続々と日本へ応援で入っている。専門家の意見では復旧安定化には10年規模の対策時間が必要と言ってる。伊達市(原発から60K)も最悪状況変化を想定し、避難対応も視野に入れて検討すべき段階で有る。伊達市役所は表面に出す必要が無いが、内部の担当部門としては検討を進めるべきだ。

ボランテイア支援活動方法

 上記の現状問題点への対応は国、県、市、町の行政としての対応が必須だが、対応の長期化を考慮すると、設備、物資、人材等のあらゆるものの対応不足が想定される。ここでは人材不足への人材ボランテイア支援対応を主として考える

 ボランテイア支援方法には、行政からの要請に答えての支援と、自らの考えで実行する支援方法が有ると考えられる。人材ボランテイアとは、要請側、支援側が共にボランテイア本人の特技、専門を把握することが重要である。適材適所の配置が効率的、有効的で有る。

 今回の被災で、避難者、避難地に向かうインフラ整備が問題と成った。道路、車のガソリン、電気、水等が整備されないと、思うように支援が出来ない。現在、最大の問題は原発から20km地域には放射能汚染で進入できないことで有る。

復興へのステップ別の人材支援方法(伊達市保原町に的を絞った)

現状把握

 把握目的を明確にする。

    上記の対応優先順位を基にして、大、中、小項目に分けて明確にする。

 ありのままの現状を調査する。

    上記目的の為のデター収集用のフォーマット用紙を事前に準備作成する。このフォーマットは      後でEXLEデータ処理出来るように、格子フォーマットに出来るだけ、数値化して記入出来る      ように考慮する

 ③今日4月7日のテレビ放映で、浪江町長が悲痛な叫び                  

    原発から7KMの避難指示区域で、放射線影響で行方不明者の現地調査が出来ない。何時、      戻ることができるのか?将来計画も出来ない。現状報告が無いので、全く分からず、不安だ。      と叫んでいた。現状把握が如何に重要か、どんなに酷い状況報告であれ、全く情報が無い程      恐ろしいことは無い。現状認識が有ればこそ、次なる心構え、対応が考えられる。

東京新聞:海外の専門機関は、気象庁の観測データに基づき、独自の拡散予測を公表してい      る。これまで積算された放射線量も示されないと、かえって国民は不安だ。政府はスピー        ディーに対応すべきだ。「直ちに人体に影響がない」などと語るよりも、正直な数字こそ、      安心できる尺度になる。

情報収集方法

   この情報収集がかなり難しい。情報収集の現場状況に合せた、臨機応変な対応が必要で有る

   ・上記のフォーマット用紙が無い、直ぐに情報収集せざるを得ない場合は、自己判断の観点か      ら、現場を見て、聴いて、メモ、写真、録音を取るしかない。後で、格子フォーマットに記入す       る。PCへのデーター取り込み。

   ・現場に親機のPCの設置、ネットへの接続。避難者への個々の聞き込み等で、親機への無線      通信可能なハンデイターミナルの準備は理想だが、かなり実現は困難。

   ・携帯電話は殆どの人が持ってるので、これを最大限に生かすことが非常に有効である。         テレビ等で実際に活用されてる実例を観た。Twitterへの登録、携帯電話に先ずは現場状況      を被災債者、聞き込み者がランダムに呟く。上記の聞き込みフォーマットが出来たら、それを      意識してヒアリングして呟く、写メールを発信する。

   ・これらの情報を目的別に整理するソフトを開発する。現に多くのソフトがボランテイア開発さ       れ効果を発揮してる。ソフトバンク社長の孫正義氏は被災地へ大量の携帯電話を提供した。      通話料金は無料かどうかは後で確認する。

   ・避難所の掲示版に手書きで書かれた安否情報をTwitterで写メールした、名前を観た別の        人がPCに登録配信公開して、安否確認が出来た事例が有る。



 

    


 

2011年4月1日金曜日

伊達市社会福祉協議会殿

ボランテイア支援活動の所感 3報

日時:3月24日(木)9:30~12:00 天候 曇り

場所:FIT富士通アイソテックの体育館

活動内容:矢の目倉庫から10tトラック5台の搬入援助物資(マットレス、布団、毛布)の積み下ろし、体育館内への運搬

参加者:約50名(内、私が呼びかけて参加したFIT富士通アイソテック  OB9名、親友1名の総勢10名)霊山、保原、桑折社会福祉協議会からの聖光学院の野球部員、他の女性6名を含む若者が大半。FITから飲料水の支給が有った。

物資:各県からの救援物資で、香川県、東京渋谷のラベルの荷物が多く有った。福島県職員の小山太郎氏の話では、各県では震災に備え救援物資を大量保管しているそうだ。今回の物資ラベルでは平成3年の20年前の物が有った。福島県と新潟県は災害時の双方支援の協定を結んでおるが、今回、救援物資が足りず、各県から福島県に寄せられたそうだ。

経緯:今回の矢の目倉庫からの移動は今後、高速道路に近いので、多くの支援物資が各地から搬入される為、他の保管場所への移動の必要が生じて、元FIT組合委員長で、現連合福島の事務局長の今泉氏に問合せが有り、FITを紹介されたそうです。今回の搬入物資は今後、各避難所、仮設住宅等へ順次、個別に搬出されるそうです。FITでの保管は長期間が予測される。

               事実確認

1、指揮系統

 1)福島県)商工労働部)まちつくり)小山太郎。

    2)関係地区の社会福祉協議会職員は現場確認に来なかった。  

3)伊達市は関与してない。FITは物資保管スペース関係で補助的に関与。

4)昨日と同じく国会議員の大隅秘書が補助的に関与。

2、搬入作業

    1)10tトラック5台の搬入が有った。

          2)        2)トラックが着くと、一昨日とは異なり、荷物はパレットに積み重ねられており、           てお    日通の作業者がFITのホークリフトを利用して、体育館入口

    まで、移動させ、入口から体育館内へはリレー方式で運搬、保管した

             問題点、課題、対策案

1、今回の作業監督は県職員の小山氏が二日間来られて、保管指示を的確にしていた。先日の保原ゆうゆう体育館の避難所では伊達市職員2名が、次の職員2名への交代で有り、正確に引き継ぎ業務がされているか疑問で有る。管理者は固定すべきで有る。関係地区の社会福祉協議会職員が少しの時間でも来るべきで、現場に足を運ばねば、支援の問題点も把握できない。各メーカーが実践してる“現場主義”の必要性を再考すべきである。

2、FITの支援作業から戻り、阿部謙一郎さんと会い、いろいろと話をした。

伊達市社会福祉協議会の会長は元伊達市役所の総務部?に勤務されていた方と、お聞きした。又、FITでの支援活動ではエコ活動で活躍されてる、旧友の島田久也さんともお会いした。又、先日のボランテイア基礎講座で一緒に受講された方ともお会いした。

3、今回のような、大震災の対策では、伊達市役所、伊達市社会福祉協議会、等が、全体を把握し、総合判断が出来るベテラン管理職が必要とされるが、今回の行政、民間の連携プレーの悪さをみると、人材不足を感じた。これの対策には、お役所的な緩慢体質では無く、企業で他社とのサバイバル競争で、日夜必死に活躍したベテラン管理職の優秀人材が県内、市内、各町村にはいると推察する。これらの人材を緊急投与して、暫定的に権限を持つ管理職に位置付け、指揮管理の補充を図ることが必要で有る。

 役所、採用側からの観点からすると、民間からの暫定投与は、本当に仕事をしてくれるか?却って足手まといとならないか?既存役所の組織を乱さないか?少し言い過ぎと思うが、内部緩慢体質が世間に知れるのではないか?の不安が有ると予測するが、

 これを解消するには、暫定投与は基本的に無報酬、ボランテイア支援業務で、目的の業務完了、必要で無く成れば(粗悪な人材も含む)、役所から一方的に解任できるの契約書に本人捺印を確認すれば良い。

4、いずれにしても、前代未聞の1000年に1回有るかどうかの大事態であるので、真剣に震災対応の真に活動効果が発揮できる、組織作りが必須と考える。“戦略、始めに組織有り”で有り、被災者の無残な姿を見ると、“今やらなければ、何時やる”のかの市民の必死の声に耳を傾けるべきと考える。

ボランテイア支援活動の所感 2報

日時:3月22日(火)9:30~15:30 天候 曇り

場所:富士通アイソテックの体育館

活動内容:矢の目倉庫から10tトラック5台の搬入援助物資(マットレス、布団、毛布)の積み下ろし、体育館内への運搬

参加者:約50名(内、私が呼びかけて参加したFIT富士通アイソテック  OB6名、桑折社会福祉協議会からの聖光学院の野球部員で南相馬出身で多くの実家は被災し帰る家が無い、寮生活者、他)。我々は手弁当持参で活動した。学生達には富士通アイソテック食堂からお握りの支給が有った。

経緯:

・昨晩5時頃に急遽、伊達市社会福祉協議会から連絡が有り、早々にOB仲間に連絡手配した。

・今回の物資援助は国会議員の石原洋三郎の秘書談であるが、物資を調達して、保管倉庫探しをしており、元FIT労働組会委員長で、現連合福島http://fukushima.jtuc-rengo.jp/の事務局長の今泉氏に連絡が入り、FITの体育館の一時保管場所が決まったそうです。この場所から後日、福島東高校、笹谷、他の避難所へ運搬されるそうです。

今後:明日23日は矢の目倉庫の搬出準備で休止、24日にFIT体育館で搬入を再会する予定。

               事実確認

1、指揮系統

 1)福島県)商工労働部)まちつくり)小山太郎

   彼といろいろ話したが、シンガポールJETRO駐在の経験が有る。同じ部の所属の國分健二さんを知っており、私が南京で駐在時代に國分さんは上海JETROに駐在しており、私は南京日本商工クラブの事務局長をしており、経営セミナー等で一緒に活動したことが有る。先に國分さんと連絡し、「福島県国際経済総合窓口の新設」に応募し、連絡を取り合っています。

    2)伊達市保原社会福祉協議会職員2名、桑折社会福祉協議会職員1名  

3)伊達市は関与してない。FITは物資保管スペース関係で補助的に関与

   

2、搬入作業

    1)10tトラック5台の搬入が有り、その後、4tトラック2台の搬入情報があったが、結局来ないので、作業終了、解散と成った。

    2)トラックが着くと、援助物資をリレーで次々に体育館内に保管した。布団等は荷崩れがしないよう、工夫の積み方が必要だった。今回の搬入でFITから借用したスペースの約25%を占めた。学生達のパワーは凄く、次のトラック便が来る空き時間はバスケットボール等を楽しんでいた。我々伯父さん達は現役FIT仲間と被災状況等の情報交換で体を休めた。

    3)支援活動状況はTUFテレビで今晩6:30に聖光学院野球部の支援活動として報道された。

              問題点、課題、対策案

  1、伊達市社会福祉協議会と伊達市役所間の組織プレーの欠如

                 1)伊達市社会福祉協議会は福島県社会福祉協議会に属しており、指示は福島県 から         から来る。伊達市役所は伊達市社会福祉協議会にどのように関与してるか不明。

又、福島県、伊達市、福島県社会福祉協議会、保原伊達市社会福祉協議会間のルートが不明。

    2)今回の人員募集が伊達市社会福祉協議会から私に有ったが、本来ならば、保原町には自治会組織が有り、本日も伊達市長のメッセージの回覧がポストに配布される既存システムが構築されてるので、今回の福島県からの援助物資をFIT体育館へ搬入の情報、指示は福島県から福島県社会福祉協議会、伊達市役所、伊達市社会福祉協議会へ連絡し、伊達市はFIT体育館の近隣の各町内会長に連絡してボランテイア募集を図れば良い。このようなルートが有れば、保原の伊達市社会福祉協議会は本来の業務に専念でき、もっと充実した業務遂行が出来ると感じた。

   

    3)今回の大震災では多くの避難者が出ており、これらの生活安定化には長期化が予測される。行政、民間が一体と成って復興支援活動システムの早期の構築が必須で有る。このシステム構築が成されないと、避難者だけに止まらず、通常の行政サービスが手薄に成り、民衆全体への本来の生活に多大なる影響をもたらすと考える。この課題は一福島県、伊達市だけでは解決できず、今回の被災が無い、少ない地域を含めた国家全体の震災対策システムの再構築が急がれる

ボランテイア支援活動の所感 第1報

 先日、福島民報新聞で伊達市役所で布団、毛布、衣類受付の案内が有ったので、2日に分けて届けた。伊達市保原社会福祉協議会にボランテイア登録を行った。

3月20日(日)天候晴、午後曇り、気温日中3℃

ボランテイア支援活動開始

伊達市社会福祉協議会からボランテイア支援要請の電話連絡があった。

保原町ゆうゆう体育館で約100人の南相馬、浪江町、他地域からの避難者を受入れてる。8:30に伊達市保原社会福祉協議会へ集合して体育館に職員と向かった。ボランテイア支援者は私を含めて3人。

事実認識

1、避難者は60歳以上の大人(最高高齢者は90歳)が約半数。生後5ケ月の新生児、幼稚園児(双子を含む)、小学、中学、高校生10人で有る。幼児は屈託なく遊んでいた。

後30秒遅れたら命が無かった方、川俣町、他、あちこち避難所をたらい回しされやっと、当避難所に辿りついたと言っていた。体育館にダンボールを敷いて、布団の上で休んでいた。数ケ所、プライベート確保の為、ダンボールで仕切りをしている所も有った。

衣類着替え場所も確保されていた。体育館中央には2台のテレビが設置されていた。壁側にはボランテイア支給のシャンプー、りんご等の箱が積まれていた。

夜間の室内照明は安全の為か消灯されておらず明るく寝ずらいようだ。暖房の石油ストーブは数ケ所に有りストーブの回りは暖かかったが、離れた所は寝るのには寒かったそうだ。

2、伊達市の女性職員の2人が対応していた。朝8:00から夕方8:00迄の勤務でその後、交代2人で翌朝8:00迄の勤務だそうだ。伊達市は600人の職員がいるが、災害対応が2/3の組織体制と言ってた。

3、途中から福島県職員の2人が追加された。これまでは出納課に所属されていた。今日は泊まり込みで、寝袋持参だった。

4、被災者は自ら組織を編成し、番場さんをリーダーとして、連絡係、食事係、物資運搬係、他の係で有る。

5、布団、毛布、衣類は大きな支障の無い程度は支給されていた。

6、食料はパン、ご飯、飲み物等が過剰に供給され、余っていた。飲み物は賞味期限が間もなくなので、早く飲むようにとの指示が有った。食料はトラックで運搬されていた。豚汁等は近くのボランテイアの手づくりだった。

7、体育館のトイレ等は清潔に保たれていた。お湯等も電気ポットから自由に飲める。

8、入口の掲示版には緊急医療連絡場所、伊達に有るカッパ王国入浴所の案内、洗髪の案内、現在の避難者数、避難者による組織(担当者名)が記入されていた。又、本日の福島民報、民友、毎日新聞が充分な部数が有った。

9、職員控室が確保されており、緊急時にはインフルエンザー患者の隔離室に対応すると思われた。外の喫煙場所では各自の情報交換をしていた。

10、地域の美容室の方々が女性の洗髪を希望する人のグループ化して、私も近くの美容室へ引率した。又、カッパ王国への入浴移動も有った。

11、子供達の遊び道具が不足してたので、近くの図書館、幼稚園からの提供、大人への将棋、囲碁道具の提供を社会福祉協議会へ依頼したが何かの規制が有る為か不可で有った。一部、地域の方から本、トランプ、縄跳びの持参が有った。

12、私は避難者へ「寒くないか?何が欲しいか?困ってることは?」等のヒアリングを行った。社会福祉協議会へヒアリングリストの作成を依頼したが、これまた、理由不明だが、不可だった。子供達への提供として、地域ボランテイア団体の本、紙芝居読みの方々が来られて、子供達は大喜びで、明日も又、来て欲しいと言ってた。

13、食料の運搬手伝いを行ったが、体育館は2階に有るので、避難者の男達は重い食料を階段で上った。

問題、課題と提案

1、今回のような重大問題が発生した場合、“戦略、始めに組織有り”だが、行政の福島県、伊達市、社会福祉協議会の連携プレーがスムーズで無い。又、社会福祉協議会は伊達市の管轄では無く、福島県の管轄と言ってたが、何故に伊達市を経由しないか不明。

当場所は避難者の組織がしっかりしてるので、避難者のリーダーとのミーテイングが随時行われ、情報交換すべきだが、これが無い。どちらかと言うと、避難者組織に任せており、行政の責任自覚が足りないと感じた。又、地域には町内会、ボランテイア、宗教団体等の既存組織が有るが、これらの組織を余り活用してるようには見受けられなかった。

2、今回のような重大問題が発生した場合、正確な現状認識、情報のデーター化、情報のリアルタイムでの提供、データーの一元化、共有化が必須である。これらに基づき、迅速な的確な対策指示が出来る。

今回の現状はこれが機能してない。これらの情報の纏め、伝達にはネットに繋がったパソコンの設置が必須であるが、避難者数の正確な把握が必要だが(食料の的確な手配数、避難者の逃亡、他)、手書きの紙で良く分からない表が壁に貼られていた。避難者の新たな入居者、退去者、他が把握できない。

川俣町から回された避難者は川俣町の避難所受付にはパソコンが設置され管理されてると言ってた。伊達市の本日のHPでは3月15日現在の数値で有り、具体的な氏名が不明。不明者の消息安否確認の為にもこの避難者の現状把握が必要でHPでインターネット公開すれば、伊達市職員の電話対応業務が大幅に軽減されるだろう。その他の必要データーのHP公開はあらゆる効果が予測される。又、ヒアリングリスト、その他、現場で気づいた情報収集リスト、上層部からの伝達資料等の提供がリアルタイムで業務が遂行出来る。

3、今後の避難者の最大の関心事は何時までここに居なければならないかで有る。

阪神大地震でも問題と成ったが、長期の集団避難生活で死亡する人が多かった。

暫定的に伊達市の市営住宅、個別住宅等の施設への転出を検討必要であり、伊達市本庁へ電話したが、しばらく経っての電話返事は、そのような事は検討してるが、具体的なニーズが無いと動けないとのお役所的回答で有った。

パソコンの早急な設置が必要で伊達市職員に提案したが、ネット配線が無い、他のネガテイブなお役所的な回答が返ってきたが、設置方法はそんな大きな問題でなく、直ぐに解決できると考える。職員は上層部へ提案すると約束して貰った。

以上、気付いた点について述べたが、現場職員の方々、他皆様はそれぞれ一生懸命頑張っており敬服するが、大所高所から冷静に全体を見る管理者が必要と感じました。

明日からそれらの視点を含めてボランテイア支援活動のお手伝いを考えていたが、夜8時頃に社会福祉協議会の担当者から、明日は体育館の対応人員が充分なので、自宅待機して欲しいと電話が有り、非常に残念で有る。